新幹線0系は夢の新幹線技術の原点です!

鉄道



新幹線0系は、昭和39年10月の東海道新幹線(東京~新大阪間)開通したときに誕生した初期の新幹線です。この当時に、時速210kmで走る「ひかり」は、夢の超特急と呼ばれ、世界中から注目されました。敗戦後の日本の復活を印象づける鉄道技術でした。そして、この0系はその夢の鉄道技術である新幹線の原点です。

この当時は、新幹線は12両編成30本360両の体制でした。また昭和45年の万国博覧会のときに16両編成の「ひかり」も登場して、さらに、山陽新幹線の開業で0系は博多まで延長されました。

この当時の新幹線に対する国民の注目度は非常に高いものでした。時速200キロを超えて走る新幹線の姿を見て、感動する日本人がたくさんいました。敗戦後20年を経て高度成長時代に入る日本を象徴する鉄道技術でした。

この0系は、まさに日本ドリームを象徴する鉄道車両ですね。



そして、0系の初期開発・投入から10年間の年月がたち、昭和50年代には初期の車両が古くなってきて、新しい0系が製造されて、順次古いものと後退されていきました。

そろそろ新型のニューモデルをとの声もありましたが、この当時、国鉄は様々な問題な問題を抱えており、新しい新型車両の実現が遅れていました。その後、国鉄は民営化されてJRとなる運命になります。

初期の0系投入から20年たって、昭和60年になり、ついに2階建て車両を組み込んだ100系新幹線が登場しました。そして、ついに0系は製造中止となりました。0系はほぼ20年にわたる活躍を経て、新型にその役割を譲りました。

中曽根内閣が強力に推し進めて、昭和62年、国鉄が民営化されるという大きな歴史的な出来事が起こりました。そこで、0系はJR東海とJR西日本にそれぞれ、1339両、715両が引き継がれました。0系は2つの異な地域のJRに受け継がれていくことになります。

その後、300系、500系、700系という高速度の新幹線がつぎつぎと開発されました。これらの車両はみなさんも乗られてことがあるかと思います。その影響で、JR東海をはじめとして、古い0系はつぎつぎと引退をしていくことになります。そして最終的に平成11年9月18日、0系は実働の新幹線からは完全に撤退することになりました。鉄道ファンには涙の引退でした。。。

0系は、新幹線は、日本人の夢がたくさん詰まっていて、現代の新幹線のルーツです。初期の0系新幹線は各地で保存され、イギリスなどの海外でも、歴史的な遺産として展示されています。



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